懐かしきフイルム映画アーカイブス設立について





今年2015年は、リュミエールが初めて映画を上映(1895)してから120年目にあたります。この記念すべき年に、懐かしきフイルム映画アーカイブス製作委員会を設立致しました。この委員会は、フイルム映画及びカメラ等機器は消滅していくなか、映像として残していくこと、埋もれた資料を公開してゆくことを目的に設立いたしました。

前身としましては、制作会社である株式会社ボスの「文化保存活動」の一環として、見る機会の少ないフイルム映画「東京裁判」(35mm)、「日本敗れたれど)(16mm)の上映会や、「CINE AKASAKA」として、映画祭に応募したにも関わらず、上映されていない海外の映画の上映会を、Cafeやレストラン、区民会館等で開催してきたことにはじまります。いづれも、映画をもっと身近に楽しく、フイルムに関しては暗い倉庫から陽のあたる場所で上映し、多くの皆さんに見て頂きたいということから続けてまいりました。

このような活動の中、ご縁がございまして、映画カメラマン、撮影技術のプロ、フイルム映画研究者の皆さんより、フイルム映画、機材の保存を行い、映像文化を後世に残したいという想いから新たな一歩を踏み出しました。






■懐かしきフイルム映画アーカイブス製作委員会■

代表 ■平林 猛(株式会社ボス 代表取締役)

週刊現代(講談社)の記者から映像界へ。民放、NHKのドキュメンタリー作品を数多く生みだす。プロデュース作品にNTV長編ドキュメント「黄金海道」、NHKBS1「華僑パワーの挑戦」、NHKBS2「世界わが心の旅」、TBS「女優・吉永小百合」他。映画作品に、2013年「祭爆」~までぃに奏でるべ~、2014年「ぬくめどり」~鷹匠の世界~がある。
著書に「にっぽん人高見山大五郎」(講談社)、「生きてる証しがほしいんだ―「暴走族」青春のモノローグ」(大和出版社)他多数。

Member
■小板橋宏(有限会社不二技術研究所 代表)

映像機器の製作から修理まで一貫して映像機器のサポートを行う映画機材のプロ。特殊キャメラの製造では唯一。映画用キャメラの蒐集家として知られる。
父親はキャメラの修理はもちろんのこと、ロケ車を持ち、今でいうロケサービス会社として映画製作をサポートしてきた。(編集部)
幼い時から港区内で映画用キャメラ(アイモ)を置き時計代りに、ばらしたり組んだりして育ち、いつのまにか60年を優に超えました。出来る限りに映画用レンズや映画用カメラの写真やデータ-も公表していくつもりです。(小板橋氏ブログ「シネ用レンズを楽しむ」より転載)


■檜山茂雄(多摩美術大学 映像演劇学科 准教授)

(社)日本映画テレビ技術協会  技術史委員(1983-2007)。(社)映像情報メディア学会  映像表現とコンピューターグラ  フックス研究委員(2001-現在)  研究領域映画表現/技術の研究 ホログラフィ映画の研究。(受賞歴)2002年5月15日 文化庁助成・劇場アニメ映画「玉蟲少年」
(製作総指揮)は(社)日本映画テレビ技術協会2001年度映  像技術奨励賞受賞。 (社)日本映画テレビ技術協会 会友。


■委員 川﨑龍治(キャメラマン)

1971年東映東京制作所にて撮影技師昇格。第一回作品「仮面ライダー」劇場映画、テレビを250本以上担当。1974年香港、インド、台湾にて劇場映画を担当。1978年よりテレビ番組を主にドラマ・ドキュメンタリーを担当する。代表作「青春の門」。NHKBSドキュメンタリー作品に「インドIT産業」「香港返還」等



■杉浦弘子(映画監督)

美術界から映像界へ。NHKBS及び民放各社のドキュメンタリー作品を手掛ける。主な作品に、イランのモフセン・マフマルバフ監督を追った「僕は自分をマネしない」(制作・NHKBS1)、「シンフォニー・ジャパン1961-2015」(演出・BSジャパン)他多数。またフイルム映画上映会を実施する。35mm「東京裁判」(1983年小林正樹)イイノホール、16mm「日本敗れたれど」(1927年陸奥陽之助)。映画作品に、2014年鷹匠の姿を描いたドキュメンタリー映画「ぬくめどり」~鷹匠の世界~初監督。日本映画監督協会会員。

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