2015年6月21日日曜日

「映像表現の源流を検証する」研究体験第3弾                  

=映画遺産= 
蘇れ!ウィリアムスンの活躍 
                       平林 猛

懐かしきフイルム映画アーカイブスでお力添えを頂いている多摩美術大学 造形表現学部 映像演劇学科の桧山茂雄准教授の研究発表の第3弾のご案内

イギリスの映画創世記のひとりジェームズ・ウィリアムスン(1855-1933)。イギリス映画の誕生とアメリカにおけるエジソン社への影響などを見据えて、彼の作った110年前の映像撮影機を紹介しながら、今日の観点から大変検証する。(本催事紹介チラシより抜粋)




【催事概要
日時:2015年6月28日(日)14:00-17:00
場所:多摩美術大学上野毛キャンス  3号館/映像スタジオ
取材:平林 猛

●講演:ウィリアムスンの作品から(村山一郎
   ウィリアムスンと撮影機(桧山茂雄 多摩美術大学 造形表現学部 映像演劇学科)

●展示映像資料:現物ウィリアムスン撮影機とマーチン・スコセッシ監督「ヒューゴの不思議な冒険」の出会い

●体験:現存する35ミリウィリアムスン撮影機を使って参加者全員で体験撮影
●上映:ウィリアムスン作品『火事だ』など作品上映します


この日展示する撮影機は、映画「ヒューゴの不思議な冒険」の日本での記者会見の折、会見場に展示したいというオファーがあり、展示したものです。同じ機種が映画に登場します。記者会見のイベント計画書は3Dだったそうです。テーブルや椅子や展示物について立体でのプレゼンだったそうです。ハリウッドではこういった計画書も3Dという情報を桧山先生から伺い、最先端の映画ビジネスの現場を教えて頂きました。6月28日の模様は、映像で記録致します。
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6月28日
「映像表現の源流を検証する」研究体験第3弾

=映画遺産= 「蘇れウイリアムスン」リポート


【催事概要
日時:2015年6月28日(日)14:00-17:00
場所:多摩美術大学上野毛キャンス  3号館/映像スタジオ



多摩美術大学上野毛キャンス3号館/映像スタジオで開催された。
山茂雄教授より、「ウィリアムスンと撮影機」と題し、撮影機の構造の解説及びウイリアムスンとイギリス映画界について、ヨーロッパとイギリス映画との関係、イギリス映画が一世を風靡したにもかかわらず、アメリカにとってかわられていった背景なども伺う。


また、村山匤一郎氏よりウイリアムスンの映画作品について上映を交えて紹介。撮影カット数やテーマの斬新さ、また「火事だ」では、実際の火災を起こし、消防隊も本物を使ったなどの興味深いお話を伺う。

【上映作品】
「支那における伝道会の攻撃」
「おもしろい話」
「偉大なる大食漢」
「とまれ、泥棒!」
「火事だ!」




現物のウイリアムスン撮影機とマーチン・スコセッシ監督『ヒューゴの不思議な冒険』との出会い

スクリーンではマーチン・スコセッシ監督『ヒューゴの不思議な冒険』公開前の日本での記者会見の様子が映し出された。ステージに檜山教授が保管するウイリアムスンが展示され、スコセッシ監督のインタビューなど。

記者会見には映画内で使用されたウイリアムスンの撮影機とほぼ同じ撮影機を展示したいと考えた代理店が、多摩美の檜山准教授が保管していることを聞きつけ、訪ねてきたという。無事、借り出し、スコセッシ監督と共に記者会見に望んだというエピソードも添えられた。





参加者全員でウイリアムスンを使っての撮影。1分半ほどの小品。撮影チームと出演チームに分かれる。撮影は、一般人と学生の3名で行われた。
テーマは「撮影機が動く」。リュエール作品のあまりにも有名な、工場から人が出てくる映像に向こうを張って、工場を出てゆく人をキャメラが後ろから追いカメで撮影するという演出。手回しの速度は、1秒に2回転。出口を出てからは1秒15フレで回す。映画創世記の映画づくりの困難さを体験した実験であった。





「映像表現の源流を検証する」研究体験第3弾                  

=映画遺産= 
蘇れ!ウィリアムスンの活躍 

懐かしきフイルム映画アーカイブスでお力添えを頂いている多摩美術大学 造形表現学部 映像演劇学科の桧山茂雄准教授の研究発表の第3弾のお知らせです

イギリスの映画創世記のひとりジェームズ・ウィリアムスン(1855-1933)。イギリス映画の誕生とアメリカにおけるエジソン社への影響などを見据えて、彼の作った110年前の映像撮影機を紹介しながら、今日の観点から大変検証する。(本催事紹介チラシより抜粋)




【催事概要
日時:2015年6月28日(日)14:00-17:00
場所:多摩美術大学上野毛キャンス  3号館/映像スタジオ
取材:平林 猛

●講演:ウィリアムスンの作品から(村山一郎
   ウィリアムスンと撮影機(桧山茂雄 多摩美術大学 造形表現学部 映像演劇学科)

●展示映像資料:現物ウィリアムスン撮影機とマーチン・スコセッシ監督「ヒューゴの不思議な冒険」の出会い

●体験:現存する35ミリウィリアムスン撮影機を使って参加者全員で体験撮影
●上映:ウィリアムスン作品『火事だ』など作品上映します


この日展示する撮影機は、映画「ヒューゴの不思議な冒険」の日本での記者会見の折、会見場に展示したいというオファーがあり、展示したものです。同じ機種が映画に登場します。記者会見のイベント計画書は3Dだったそうです。テーブルや椅子や展示物について立体でのプレゼンだったそうです。ハリウッドではこういった計画書も3Dという情報を桧山先生から伺い、最先端の映画ビジネスの現場を教えて頂きました。6月28日の模様は、映像で記録致します。

2015年6月15日月曜日

多摩美術大学ミーティング

6月12日(金)
多摩美術大学にて桧山茂雄先生と開催予定の座談会「東京オリンピックとアリフレックス」についての検討会


東京オリンピックに使用されたキャメラ、レンズ、フイルムの
長さまで記録されています
1965年制作の映画「東京オリンピック」で使用されたキャメラはアリフレックス及びアイモなど百数十台が使われました。
その技術チームの監督的立場であったのが、潮田三代治(日映新社)でした。技術雑誌に当時撮影に携わった方々の座談会が収録されており、大変興味深く読ませて頂いた。今、改めて、潮田三代治キャメラマンにも登場頂き、東京オリンピックの撮影に携わった皆さんの話を伺おうという企画を準備中です。
技術雑誌座談会に参加されたのは、田中正(毎日映画社)山崎敏正(朝日TVニュース)松井公一(中日ニュース)など8名が参加されました。


座談会出席者

★聖火は9月20日に原爆投下の街を通過し、富士山の裾野を通過して、史上最大といわれた開会式が行われる東京へ・・・・。この映像が潮田キャメラマンと市川監督との間のトラブルがありました。

映画公開後に出版された雑誌「キネ旬」の扉には、潮田キャメラマンが撮影した、映画の冒頭近くのシーンが掲載されています。

市川崑監督より依頼されて撮影したものの、スタート前から内容について監督とキャメラマンの闘いがあったとのこと。このエピソードについては、後日、正しく掲載したいと思っています。

また映画「東京オリンピック」については、当時のオリンピック担当大臣であった河野一郎氏が「記録性に乏しい」と酷評したため、記録映画か、芸術映画か、ということで公開当時は話題になりました。

アイモと桧山先生
「東京オリンピック」(1965)170分/東宝
1964年に開催された東京オリンピックを撮影した、市川崑が総監督を務めた長編記録映画の金字塔。公開当時は「記録か芸術か」という論争まで巻き起こったという。記録映画であるにも関わらず脚本クレジットがあったり、シネスコサイズで撮影されていたり、ドキュメンタリーとしては異色の内容となっている。脚本には市川崑、和田夏十の他に、白坂依志夫や谷川俊太郎が名を連ねている。(allcinemaより転載)

市川崑
経歴【1915年〜 2008年】日本のアニメーター、映画監督。娯楽映画から実験的映画、更にはテレビ時代劇ドラマまでを幅広く手がけ、昭和の日本映画黄金期から21世紀初頭まで、第一線で映画制作に取り組んだ。代表作に『ビルマの竪琴』『おとうと』『東京オリンピック』『犬神家の一族』『細雪』などがある。
平林プロデユーサーと桧山先生。レンズの回転部分で修理が
必要とおっしゃっていました

桧山先生と筆者杉浦。当時軽くなったとはいえ、やはり重い。



2015年3月22日日曜日

「肉体の門」ナマ フイルム



神田の古書店で出会いました

16mmのポジフイルムの切れ端と「ナマ フイルム」と書かれた意味深な封筒。「なんだ。これ!」というのが第一印象。・・・

店の御主人に尋ねると「肉体の門の公開当時、映画館で無料で配られたものだと思います」という返事。よく見ると、実際劇場で上映したフイルムとあります。もちろんプリントしたものだと思いますが、これを配ろうとした映画配給会社は、宣伝文句に「来場者にナマフイルムプレゼント」と書いたんでしょうね。

これを蔵原監督に見て頂いたら「今度、清順監督に会うのでサインもらってきてあげる」という有難いお言葉。それに、フイルムをデジタル化もして頂けるというまたまた嬉しいお話。何が映っているのか、まだわかりませんが、特別試写会等でご覧いただけるようにしたいと思います。

肉体の門(1964)


敗戦直後の東京を舞台に、混乱の中を逞しく生きる5人の娼婦を描いた田村泰次郎のベストセラー小説を、鈴木清順監督が映画化。当時19歳だった野川由美子の新鮮で大胆な演技が話題を呼ぶと共に、監督特有の映画美学が色濃く表れた代表作のひとつ。(キネマ旬報社データベースより)

「肉体文学」の最高峰として戦後初のロング・ベストセラーとなった田村泰次郎の原作を映画化した衝撃のエロスクラシック大作!キャストは、本作品がデビューとなった19歳の野川由美子。戦後の焼け野原で、自らの「肉」と「性」を逞しく、太々しく生きるメス犬「ボルネオ・マヤ」を、山猫のようにしなやかで野性味あふれる肉体演技で観客の度肝を抜いた。鈴木清順監督は、5人の娼婦を色分けして描くという「清順」美学を展開、木村威夫の美術が戦後バラックを再現、清順映画としてそして衝撃の「エロス」アクション映画としていまだかつて成しえなかった映像世界を作り出している。「肉体」の匂い、湿度、温度、そして情欲が映画に充満している!数度の映画化にも関わらず、すべてをさらけ出した野川由美子の肉体とともに本作こそが映画ファンの「官能」脳裏に刻まれた、永遠不滅の「敗戦復興」ムービー!!(moviewalkerより)

【キャスト】
野川由美子、宍戸錠、松尾嘉代、和田浩治、河西都子、石井富子、富永美沙子、江角英明

【スタッフ】
監督 鈴木清順、原作 田村泰次郎、企画 岩井金男、脚本 棚田吾郎、撮影 峰重義、音楽 山本直純、美術 木村威夫

2015年3月16日月曜日

アリスレックス探訪Ⅱ

3・10多摩美術大学

急な雷雨の中、多摩美に走る。この日、檜山先生にアリフレックスの資料をお願いにあがった。
多摩美OBで撮影をされている中野貴大さんが同席された。嬉しいことに中野さんは桜餅を用意してくれていました。春の走り。白あんの桜餅が美味しかった。

さて、美大についたらまず、スタジオに案内頂いた。ここは撮影に使ったり、集まりにも使われますが、20年前に作られたもので、床には井戸の扉がありました。災害の時には集合場所になっていたのでしょう。



檜山先生の部屋で、キャメラを見せて頂く。これは東京オリンピックを撮影したアリフレックス。当時は100台、3人づつついて300人ほどの撮影班が動いていた。予備のキャメラもあったというので、120台くらいはあったのでしょうか。

檜山先生

平林プロデューサーと撮影の中野貴大さん



アリフレックス探訪Ⅰ

3・8不二技術研究所

「懐かしきフイルム映画アーカイブス」第一回目はアリフレックス35になりました。パイロット版の構成案を持って、不二技術研究所へ。委員の平林、杉浦と、ディレクターの川井さん、道解さんも参加して、急きょ、小板橋さんのキャメラ教室となりました。




アリフレックスは小型で、外に持ち出せる。一人で操作できるということで戦場で使われた。皮肉なもので、戦争が機材を進化させたのか。



手でクランク(crank)(フイルム巻き上げレバー)を回すときのコツ。これは、カメラを回すこと。今ではテレビでも「クランク・イン」「クランク・アップ」(和声英語)というが、本来クランクとはフイルムを巻き上げるレバーのこと。
デジタル世界でも、きちんとフイルム文化は継承されている・・?



2015年2月27日金曜日

京都祇園会館の映写機

懐かしの京都・祇園会館

京都の映画館のさきがけとなった祇園会館は、1958年完成。今、その姿をそのままに、よしもとの劇場となっており演芸を公演しています。2階の階段の踊り場を見ると古い映写機が展示してありました。係の人に聞くと、なにげなく置いているということでした。近くで撮影できなかったので、ちょっと見えずらいですが、劇場も老築化しており、解体する時にはこの映写機も廃棄処分になるのではと、胸を痛める。2012年3月30日に映画上映を終了した
正面のモザイクも当時のまま

この祇園会館を訪れたのは、本プロジェクトのプロデューサー平林の友人である栗田邦夫監督が学生時代に35mmフイルム映画を作成し、上映する予定だった映画館。ここでちょっとしたいたずらがあり、フイルムを隠して上映できなかったという事件が勃発。結局、見つかることになるが、このニュースによって、より多くのお客様が来てくださったという良い結果になりました。

ひっそりと映写機

受付風景 絵画も照明もほぼ当時のまま

懐かしの絨毯、昔はこんな階段でし